合氣道


~開祖 植芝盛平先生の言葉~

●合氣とは、敵と闘い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である

●合氣道は形はない。形はなく、すべて魂の学びである

●私は武道を通じて肉体の鍛練をし、その極意をきわめたが、武道を通じて、はじめて宇宙の神髄を掴んだとき、人間は『心』と『肉体』と、それを結ぶ『気』の三つが完全に一致して、しかも宇宙万有の活動と調和しなければいけないと悟った。『気の妙用』によって、個人の心と肉体を調和し、また個人と全宇宙との関係を調和するのである。


 

以下、私が書いた合氣道への想いを掲載します。

 

1.「私と合氣道」(3段昇段審査課題)

2.「合氣道を通して学んだ大和の心を日常に」(40周年記念誌寄稿)

私と合氣道

~3段昇段審査課題文~

 

私たちは今、新型コロナウィルスCOVID-19という世界共通のテーマを抱え、向き合い、生活しています。

 

 

 

普段から、当たり前の有難さに感謝して生きる生き方をしてきましたが、その当たり前がことごとく当たり前にできなくなってしまう経験をし、その当たり前の尊さを今まで以上に実感しています。

 

 

 

2020年の年明けから徐々に蔓延しはじめたコロナの影響で3月には稽古ができなくなりました。その後、4月7日には緊急事態宣言下となり、稽古のみならず、仕事(私は、個人で身体機能改善系のパーソナルBODYトレーナーおよびケアリストをしています)も2か月半の間、完全休業せざるを得ない状況に追い込まれました。

 

 

 

私の仕事の原点は、自分に突然起こった歩行困難寸前、原因不明の痛みです。その後、病院、民間治療、歯科治療…と治療院ジプシーを4年半以上したにもかかわらず完治せず。最後は人に治してもらうという意識から一度離れ、自ら自分のカラダを見直し、機能的な動きをカラダに再教育することで痛みをとっていった経験がこの仕事の基盤になっています。

 

 

 

はじめは小さな体操教室からスタートしました。その後、パーソナルトレーニングにメインを移し、コツコツと実績と結果を積み上げていきました。看板もかかげず口コミだけでクライアント様は増えていき、この頃には、週6日働いても新規の方はお引き受けできないほどになっていました。

 

 

 

毎月カレンダーにびっしりと詰まっていたご予約でしたが、緊急事態宣言によって、休業を決断。お一人お一人にお詫びのメッセージを出し、カレンダーが真っ白になったときの心の痛み、悲しみ、悔しさは今まで経験したことのないものでした。

 

 

 

今まで丁寧に積み上げてきたものが一瞬にして崩れ落ちていくような氣持ち。まさか、こんなことが起こるなんて…。対面でしかできない仕事。先の見えない不安…。

 

 

 

ですが、こういうときにこそ合氣道。日ごろから、稽古は道場だけでするものではなく、合氣道を自分の生き方、生活に生かしてこそだと思ってきましたので、稽古で学んだことを実践する絶好のチャンスをいただいたとすぐに心切り替えました。

 

この形ある世界は、陰陽の二極(二元性)がひとつになって存在しています。出来事は常に中庸で、そこにどう意味づけするのかは私たち側ひとりひとりの問題です。

 

 

 

一つの出来事を、闇(裏)の側面から見れば(そのようなフィルターをかけて見れば)、出来事はネガティブに映りますが、そう見えるものでさえも、必ず光(表)の側面があり、光(ポジティブ)を見出すことができます。

 

 

 

では実際、このコロナ禍であっても、心身健やかに(ポジティブに)過ごしていくために、普段の稽古の日常に生かせる点は何かを改めて考えてみました。

 

 

 

それは、どんな状況になろうとも、全体を俯瞰し、中心をとるという出来事への対峙の仕方。全体調和の視点から、バランスさせるものの見方や感覚ではないかと思います。その究極が、武道で言うところの「何事にも動じない精神=不動心」に繋がっていくのだと思います。

 

 

 

私たちの住むこの地球は、時間の流れとともに変化してきました。そのような状況の中、生き残ってきたのは、環境の変化に適応してきたものたちだということは、この地球の生命の歴史からみても明らかです。常に変化に適応しつづけることが一番の強さであるという理は、合氣道の動きの中で自分の中心をとりつづけることが一番安定し、一番強いという原理に相通じます。

 

 

 

その原理をカラダで学んでいるのが実は合氣道なのではないかと私は思っています。もちろん、普段、そんなに難しいことを考えながら稽古しているわけではありませんが、いざ、何か物事の本質や理を見極めるようとするとき、大きな決断をするとき(肚を決めるとき)、困ったことに遭遇したとき…カラダで捉えた言語化できない微細な感覚は、大きな助けとなります。

 

 

 

どうしたらこの微細な感覚をより大きく育てていけるのか。

 

 

 

合氣道において技をかけてくる【受け側】の動きは、常に変化します。また技をかける相手が、男性なのか、女性なのか、背の高い人なのか低い人なのか…ひとりとして、毎回、同じ動きをもって技を打ち込んでくる人はいません。

 

 

 

その変化し続ける動きに対して中心を取り、自分を常に安定した状態にするには、何度も何度も稽古をするより他ありません。実際にカラダを動かして、頭(思考)ではなくカラダの全機能を使い、体感覚を磨いていくことの大切さ。

 

また、そのような様々な動きに対応していくためには、「近視眼的に、相手の一点を凝視するのではなく、全体を捉える」ことが必要だということも、稽古の中で何度も教えられます。「間合いをとるということが全体を見てバランスをとるためには必要不可欠」であることを、「理屈ではなく、カラダで体感」させられます。

 

 

 

そして、「繋がりを感じる」です。

 

 

 

勝手に自分だけが動くのではなく、相手に合わせ、相手を理解しようとする意識。いつもそれが抜けてしまうのですが、「その意識に何度も立ち返る」ことで微細な感覚をつかんでいけるのだと思います。

 

 

 

このようにカラダを実際に動かして稽古で培ったものは、生き方にもイメージをもって、応用することができます。物事に向き合うとき、どんなに外的環境が変化しようとも、強くしなやかに生きていくための智慧がここにあると思うのです。

 

 

 

 合氣道は、日本国内のみならず、国境を越え、全世界に稽古仲間がいます。世界140ヵ国の国と地域、160万人ものひとたちを魅了する合氣道の「何か」は、きっとここにヒントがありそうです。

 

 

 

私個人的には、無意識であったとしても、合氣道の中に真の強さ、美しさを人々が心奥深いところで感じているのではないかと推測しています。変化に抗うことなく受容し、調和させる力は、真の強さであり美しさであり、わたしたちのDNAに眠る大和魂そのものです。

 

 

 

さらに言えば、日本は発酵文化です。微生物の世界にその姿を見るように、それぞれがそれぞれの良さを生かし合い、調和し、よりよく素晴らしいものを生み出す力を、本来、私たち日本人は持っています。

 

 

 

微生物は菌同士の多様性を見事にバランスさせ、物質を変容させ、良い香りを醸し出します。

 

 

 

合氣道も人と人とが「道」を通して心で交わり、その発酵の心地よい香りのようなものを醸し出しているのではないか、それに自然と人々が惹かれて、国境を越え、人種を超え、あらゆる違いを超えて人々が集まってくるのではないかと思います。

 

 

 

人と繋がる力や大自然と繋がる力を自らの中に育む。私は合氣道を通してその力を養っていけると信じています。

 

 

 

 地球に住む私たちは皆、コロナという事象を通して、日ごろの当たり前に今一度深く感謝する機会をいただきました。

 

 

 

古く使えなくなったシステムを潔く手放し、新しいものの見方や考え方を積極的にしてみる機会を与えられました。

 

 

 

そして、昨今、よく耳にするようになったSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)という言葉にも象徴されるように、【国境をも超えた人と人】、【私たちを育む大自然】との共生、調和なくして豊かな未来は創造できない、という認識が広まりつつあり、世界中で、従来型の社会システムが見直されてきています。

 

 

 

 稽古におけるマスク着用は苦しいです。思いっきり空気を吸って稽古ができていたことがいかにありがたかったのかを痛感しています。今まで無意識に吸っていた空気は、わたしたちの生命にとって一番大切なもの。それを無償で提供してくれている大自然…。

 

 

 

 自分の心とカラダが調和し、人と人が調和し、人と自然が調和し共生していく未来。

 

 

 

 マスク着用はいつかなくなることを願いつつも、今の環境に適応し、今できるベストを尽くしていく。物事のネガティブな側面にだけスポットライトをあてるのではなく、否定して、ないものにするのでもなく。それさえも全体の一部と捉えて、全体性の中から光を見出し、軽やかに生きていきたいです。

 

 

 

 このように、中庸な視点、思考を意識し、自分を支えてくれる人たち(家族、先生、仲間たち)、環境、すべてのすべてに感謝しながら、日々の稽古を丁寧に重ねていきます。

 

 

 

完全に稽古できない期間を長く経験したことで、通常稽古ができる喜びを今まで以上に感じられるようになりました。道場で学んだことをこれからも自分の生き方、生活に生かしていきたいと思います。

 

 

 

 理屈に偏することなく、技術を高めることだけに専心するのでもなく、合氣道を通して心技体をバランスよく磨き、人間力を高めていきたい。

 

 

 

 稽古しても稽古しても、亀の歩み状態です。技は思うように上達しませんが、一生涯計画で、倦まず、弛まず、精進していきます。これからもご指導のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

 

合氣道を通して学んだ大和の心を日常に

 

以下、柏合氣会40周年記念誌に寄稿させていただいた内容をご紹介します。

 

  

『合氣道を通して学んだ大和の心を日常に』 岸 真規子

 

  

 

私は合氣道を通して「武士道」の本質に触れることができていると思います。そしてその「武士道」にとても惹かれます。それは日本の美しい心がそこにあるように感じるからです。 

 

 

 

合氣道開祖、植芝盛平先生は「真の武道とは愛の働き」とおっしゃっておられます。合氣は氣を合わせる調和の武道、それは日本(大和〈やまと〉)の心そのものです。

 

 

 

石川真理子著『女子の教養(たしなみ)』(致知出版社)という本には「武士道」は“男性のもの”とは限らないと書かれています。武士道の道徳律、たとえば仁(他者への愛)、義(損得ではない人として正しい行い)、礼(思いやり)、智(大自然の叡智、真理)、信(信頼、うそをつかない)、忠(裏切らない)、孝(目上の人への敬意)悌(弱い立場への配慮)は、「人としての大切なあり方」を説いています。 

 

 

 

また同書にて、武士道では「女性」「母親」の役割がとても大きかったことも知りました。それは母親が真の武士道を教育しなければ、その子に武士道が伝わることがないからです。母の心も武士道の本質も同じではないかという発見は、私に大きなインパクトを与えました。 

 

 

 

もうひとつ、私が影響を受けた本に玄侑宗久著『しあわせる力』(角川SSC新書)があります。それによれば、日本人の幸せ観は「仕合わせる」からきており、「仕合わせ」とは、「私のすることと相手のすることが合わさる…つまり、人と人との関係がうまくいくこと」であると書かれています。相手との調和(和合)が日本人の幸せ観の根っこにあるということは、開祖が言われている合氣道の本質、愛の働きと共通します。この氣づきもまた嬉しい発見でした。

 

 

 

この文章を書きながら、私が合氣道を通して日常に役立てている「学び」が3つあることに改めて氣づきました。 

 

 

 

一つ目は「正面からぶつかりあわない」という感覚です。身体で学んでいるその感覚が、心という見えないものの場面においてもイメージできるため、以前より感情をコントロールしやすくなりました。 

 

 

 

二つ目は「自分の能力を自己限定することなく、無限に広がる可能性に向かってチャレンジしつづける」という精神です。何度も何度も同じ稽古を繰り返し、わずかずつではあるものの上達していくプロセスと実績が、他の場面においても自分に自信と勇氣を与えてくれます。 

 

 

 

三つめは「美しさ」の基本となる姿勢と呼吸です。姿勢が美しければ呼吸も深くなり、その影響は心にまた戻ってきます。稽古における実践で、心と身体が繋がって、良い循環が生まれてくる感じがします。その健全な循環が、日常の活力に繋がっています。 

 

 

 

稽古で壁にぶつかったとき、私を勇氣づけてくれる詩があります。 

 

 

 

【鈍刀を磨く】坂村真民 

 

鈍刀をいくら磨いても 無駄なことだというが 

 

何もそんなことばに 耳を借す必要はない 

 

せっせと磨くのだ 刀は光らないかも知れないが 

 

磨く本人が変わってくる 

 

つまり刀がすまぬすまぬと言いながら 

 

磨く本人を 光るものにしてくれるのだ 

 

そこが甚深微妙の世界だ 

 

だからせっせと磨くのだ 

 

 

 

私の技もいくら稽古しても、理想通りには上達しないかもしれません。けれども、コツコツと稽古を重ねていけば、たとえ技は光り切らなくとも私自身から余計なものが削げていき、命が光ってくるように思うのです。 

 

 

 

そして、なかなか技が上達しない私を後ろからしっかりと見守ってくれ、勇氣づけてくれる方たちがいます。それが浦田師範をはじめとする柏合氣会の先生方です。 

 

 

 

柏合氣会には、素晴らしい先生方ばかりいらっしゃいます。技だけではなくお人柄が皆さんそれぞれに素晴らしく、尊敬しています。それぞれの先生方の自然体が即お手本となっていることは、とても素敵なことだと思います。どんな人にも分け隔てなく真剣にご指導くださるそのお姿に、本当の優しさと温かさを感じます。先生方の生き方そのものに、武士道を感じるのは私だけではないでしょう。 

 

 

 

このような先生方にご指導いただける有り難い環境をフルに生かし、また合氣道の稽古を通して高く純粋な精神性と胆力を身につけていきたい、そしてそれを今度は日常に生かし、自分に与えられた場で精一杯自分の使命を果たしていきたいと思います。

 

 

 

合氣道精神をもとに一燈照隅、萬燈照国、一隅を照らす生き方をしていけたらと切に願っています。 

 

 

 

合氣道に出会えた感謝と喜びが心の底からいつも沸々と湧きあがってくるのを感じています。素晴らしい先生方、先輩方、仲間たちと共に、これからも、倦まず弛まず基本を大切にしながら稽古に励んでいきます。今後ともよろしくお願いいたします。